http://www.outenin.com/otc/projects/commons2008.html
というイベントがある。
應典院寺町倶楽部という、お寺とコラボするNPOが毎年開いているらしい。
今年のテーマは「減災の身体性」
めっちゃおもしろそう。
デザイナーの原研哉は、著書「デザインのデザイン」のなかで、「新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものの中に未知なるものを再発見できる感性も創造性である」と説いています。そこで、今年度のコモンズフェスタでは、「減災」の視点から、日常と非日常はいかに接続しうるのかについて着目します。
(中略)
M7.6の地震が起きた場合、それぞれ最大で、死者4万2000人、避難者550万人、帰宅困難者200万人、被害額74 兆円と見積もられています。これらを「想定の範囲内」として、日頃の「備え」を行う上では、わたしたちにどんな創造性が求められるのでしょうか?(公式ホームページより)
これを読んだだけで俺は、
創造性ってそういうことなんだ。
減災ってそういうことなんだ。
みたいに素朴な感動を覚えた。
原研哉は、無印良品のデザイナーのひとり。
無印良品もまた日常と非日常をつなぎ合わせるような「創造性」を持っている。
日常を鋭く見つめた先に、日用品のデザインはある。
だから、日用品を鋭く見つめたとき、そこには日常の意外な側面がある。
そう、日常には意外な側面がある。
そしてそれはやがて、非日常というかたちで俺に牙を剥く。
非日常は日常といかに接続しうるのか。と問うまでもなく当然の様に、この日常の先には非日常があるんだ。
メメントモリ。
って知ってる?
ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味らしい。
なるほど、
忘れるなと言われてはじめて思い出す。
あ、忘れてたごめん。みたいな感じで。
そう、俺っていつか死ぬよね。
生の先には死がある。
「地球が温暖化するよね」
「あ、忘れてたごめん」
「東海大地震が起こるよね」
「あ、忘れてたごめん」
みたいな会話で今はいいような気がするけど、ごめんで済むなら警察はいらない。そもそも地球温暖化を前にして警察は無力だけど。
つまり、死とか地震とかそういう非日常は、たやすく日常に埋もれてしまうのだろう。
それを乗り越えるためには、創造力が必要だ。
日常からちょっと足を伸ばして、上町台地に行ってみようかな。
って言っときながら
「昨日コモンズフェスタやったよね」
「あ、忘れてたごめん」
みたいになるのが俺のパターンだけれども。
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