2009年5月3日日曜日

【本】土木国家の思想 - 都市論の系譜(その1)


本間義人「土木国家の思想 - 都市論の系譜」日本経済評論社 1996



まだ読み終わってないけど、この本はおもしろい。
日本がなぜ土木国家になったのかという歴史がかかれている。
文系の人にとっては当たり前なのかもしれないけど、
理系にとって歴史は古くて新しい。
どういう経緯で今があるかをすっとばして、
技術の話ばかりをいつも聞いているから。


日本が土木国家になった起源は、
一般には戦前、大政翼賛体制になった1940年あたりだと言われるが、
もっと昔、明治維新の頃まで遡ることができる、と本間氏は言う。

1888年、東京府知事芳川顕正が山県有朋宛てに提出した上申書で
首都東京の近代化の基本に触れて
「道路・河川・橋梁ハ本ナリ、水道・家屋・下水ハ末ナリ」と述べた。
これを「本末論」と呼ぶ。

「本末論」の解釈はひとによって違う。
この本では、道路・河川・橋梁をつくることが最優先で水道・家屋・下水は後回し、つまりは、産業が優先で、人々の住環境はどうでもいいということ。と捉えられている。

しかし一方で、俺の大好きな藤森照信とかは、これは、産業を重視して市民を顧みないとかそういう、大事さの違いのことを書いてるわけではなくて、単に、どっちも大事だけどまずは都市の骨組みである道路を造って区画を固め、しかる後に住環境の整備をする。というつくる順番のことを書いただけだ、と反論している。


これらの意見をもつのはそれぞれ、
前者は文系の人間、
後者は理系の人間が多いらしい。

理系は、その時点のことを深く考察し、
文系は、前後の歴史を踏まえて文脈を読み取る。


たしかに、字面だけを見れば、
藤森照信のように好意的な解釈をすることもできるが、
その後、住環境整備は遅々として進まなかったこと、
また、道路・ダムなど産業のためのインフラへの投資額の高さ、さらには土木業界と官僚との癒着が、現在に至るまで続いていることを踏まえると、人々の住環境はどうでもいいや的な発想があったことは想像に難くない。


文系と理系の違い、
技術は中立的ではありえないこと、
とか、日頃想ってることがちょっとクリアーになった気がする。
明日がんばって読み終えよう。

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