町田康「告白」中公文庫 2008
気持ちが沈んでいる時に、
明るい音楽を聴く人と、
暗い音楽を聴く人とがいる。
俺は後者で、
暗い気持ちの音楽にどっぷり浸かることで、ああ暗い気持ちになっているのは俺だけではなくて他にもいっぱいいて、それはつまり暗い世の中だからなんだな。今月は菓子パンにお金を使い過ぎてあと1週間はごはんにふりかけオンリーの生活であって、それがゆえに暗い気持ちだったけど、世の中が悪いんだ。サブプライムローンのせいだ。俺は悪くない。
みたいな、明るい気持ちになれる。
ある意味で。
というのはなんか例が悪い気がするけど、
自分と同じ気持ちのひとがいるとか、
自分と同じ悩みのひとがいるというのは、
ほっと安心させられる。
世界は俺ひとりではない、と。
町田康の文章も、そういう意味での癒しの力を持っている。
町田の小説に出てくる主人公はみな、愚鈍であったり、自意識過剰であったり、精神を病んでいたりする。
それは、他人事のようでそうではない。
俺ってバカなんじゃないか、とか、誰にも理解してもらえない、といった不安を抱く瞬間がふとした日々の中にないだろうか。
そんなたぐいの不安に足を取られてしまったとき。
ひとつの解決策は、誰かに「お前は馬鹿じゃない」と言ってもらうことだ。マンガとか映画を観て、強くてカッコいい主人公に自分を重ねるのもいいかも知れない。自分はなんでもできるという自信に浸れるから。
町田康のは真逆で、
馬鹿な主人公が不幸と汚辱にまみれてゆくのをみて、まあこんなダメな人間でもいいよね。みたいな不思議な安心を覚える。安心というより、むしろ絶望に近い。それは、自信なんてなくても生きていけるのだという気付きだ。
「告白」の主人公・城戸熊太郎は、内向的で思い込みが激しく、たまに幻覚を見る(本人は幻覚と気付いていない)。そして口べたなのと妄想癖があるのとで、話したいことをうまく口にできない。それどころか、思ってもいないことが口をついてしまったりする。それがために、元来ケンカも弱く穏やかな性格であるのに恐れられ大悪人に祭り上げられ、最後には思い込みから10人を斬り殺してしまう、という悲しい話だ。
10人もの人間を斬り殺すのが、どういう人間であるのか、想像もつかない。
この本を読むまでは。
読んだ後、自分も同じ状況に育てば10人を斬り殺していたのではないか、という気分になる。
狂人のような城戸熊太郎はしかし、自分と変わらない。
相手にわかってもらえない、という不安が増幅されれば自分もこんな風になるかも知れない。というか自分では気付かないだけで、すでにこんな風な狂人なのだろうか。
強くてカッコいいとか、弱いけれど勇気があるとか、そういう人間が主人公に選ばれることは多い。
しかし、愚かで醜い人間の内面に真っ正面から向き合うことはあまりない。
町田康は、そんな愚かな人間に、というかむしろ、人間の愚かさそのものに寄り添っている。
そういう視線が、とても尊い。
平田オリザは著書の中で、
文人としてのわたしは、日本は滅びると信じていますし、滅びてもかまわないとも思っています。劇作家としてのわたしの仕事は、かつてチェーホフが、百年前に、滅びゆくロシア帝国の人々を愛情を持って描き続けたように、滅びゆく日本人の姿を記録していくことだと思っています。(「ニッポンには対話がない」)
と言った。
そんな、愛情ある視線。
破滅するものを「それでいいんだよ」と受け入れることは、国際協力に携わろうとしている身としてはダメなことだと思う。
それでも、そういう視線に救われる想いの人がいることを忘れられない。
俺自身も、何度も町田康の小説を読んで支えられてきたと思うから。
ということで、
俺は今日も、研究計画書わかってもらえないかも、という不安に悶々としつつ(笑)、でも町田康の本を読んで、まあいっかと思った。思えた。
院試まであと10日。
注:
院試まではしばらくネガティブな日記が続きますが、たぶん元気なので安心してね!笑
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