2009年9月5日土曜日

水辺は世界のはしっこ

かつて関西ローカルの某テレビ番組で「さきっちょマン」というコーナーがあった。
たしか、間寛平扮するさきっちょマンが、日本中のさきっちょを巡る旅をする。みたいなのだった気がする。

飽くなきさきっちょの探求。
このように、さきっちょはひとを惹き付けてやまない。


そして、さきっちょと同じように、はしっこも人を惹き付ける。
さきっちょはなんかポジティブな響きがあるからわかるけど、はしっこはなぜだろう。

思うに、人間には2つの重力というものがある。
中心に引かれる力と、はしっこに引かれる力だ。
友達に家族に囲まれていたいけれど、そのくせ時々ひとりになりたくなる。
引かれあうようで反発しあう、不思議な感じ。


はしっこは孤独で、危険だ。
にも関わらず、なぜひとははしっこを目指すのか。
それはきっと、人生のいろんな局面で否応なしに、精神的にはしっこにいるからだ。
失恋、リストラの危機、生きる意味が見つからない。
あと一歩踏み込めば戻れないかもしれない、人生のエッジ。
そんなはしっこに立たされた気持ちは、はしっこによってしか癒せない。

はしっこにいることそれ自体よりも、
精神的にはしっこなのに、物理的には都会のど真ん中にいる、みたいな心と体の不一致が苦しい。
心がはしっこなら、体もはしっこに立つべきだ。

でも、はしっこがどんどんなくなっていく。
かつて海の向こうにははしっこがあったけど、今はもう地球は丸い。
町と町は道路や線路で接続され、はしっことはしっこがジグソーパズルみたいにツギハギされる。
「自殺の名所」という名のはしっこまで交通の便がよくなる一方で、身近なはしっこが失われていくのはなんだか悲しい。

はしっこが、必要だ。


水辺はきっと、みんなのはしっこになれる。


もうちょっとはしっこについて書きたいけど、そろそろシフトが始まるのでこの辺で。
今日も大阪の「はしっこ」、中之島にいます。
土日にどこに行くか迷ったら遊びにきてね◎

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