2009年11月16日月曜日

How To Disappear Completely

「How To Disappear Completely」というRadioheadの曲がある。

私はここにはいない

何も起こっていない

みたいなフレーズを歌い続けるその曲は、
たぶん俺のテーマソングだ。
俺はいつも、いなくなる方法を探しているのだろう。

と、昨日今日に「〈老い〉を表現する」というワークショップに参加してふと思った。
なんでかと言われても、よくわからない。
わからないけどそんな気がする。

いまここに、俺はいる。
しかし一方で、いつまでもいることはできない。
「死」とは俺が「いない」状態になることだから。
自分の「いない」が不意に突きつけられることで誰かが苦しむなら、
俺はむしろ、積極的にいなくなりたい。


とはいえ、いなくなることは難しい。

例えば、冒頭の曲。
「ここにいない」と主張するのはなんだか滑稽だ。
「留守ですか?」と聞かれて「留守です!」と叫び返すみたいで。

いなくなるには手順を踏まないといけない。
宮部みゆきの「火車」という小説がある。
うろ覚えで筋書きを言うと、
ある人物は多重債務から逃れるために他人になろうとする。整形をして、戸籍を変える。やっと借金から逃れられると思ったけれど、ふとした拍子からばれそうになり、それを隠すために、殺人を犯してしまう。
いなくなるためなら、ひとはひとさえ殺す。
そして、ひとを殺してもなお、いなくなることができるとは限らない。


もっと、「いない」へと軟着陸しないといけない。
「老いる」というのは、その手段のひとつだと思う。
徐々に淡くなるように消えていく。


でも老いは、死に近づくことであって、
「いない」に近づくこととは似ているようで違う。
いなくなることは不可能に近い。
だって、いまここに俺はいるから。


いなくなることなんて、ほんとはできないのかもね。
それでも「いなくなる」方法を探さずにはいられないのは、それを探している間は俺がここに「いる」理由があるからなのかも知れない。
ここにいたい、なんて言うのが照れくさいだけで。


わからない。
なんかネガティブな感じの文章やけど、別に悩んでるとかではないのであしからず(笑)

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