2009年12月19日土曜日

日記

忘れないために日記を書いているのか、

忘れるために日記を書いているのか、


俺はいまだにわからない。
日記(ネット上のやつではなくて、紙のやつ。自分しか読まない)を書き始めたり止めたりしてもう12年になるけど、ぜんぜんわからない。


えっ、そんなの覚えとくために決まってるでしょ。
というひともいるやろうけど、
忘れてしまいたいこととかも書いたりするやん。
書いたからもういいかと思って、
あっさり忘れてしまったりするやん。
大事なこととか。

ひょっとしたら人間の頭の中はテトリスみたいになっているのかもしれない、とふと思う。


つまりどういうことかというと、
いびつな形をした知識がゆっくり降ってくる。
それを俺たちは回転させ加速させ、
うまく窪みを埋めるように落とす。
そしてやがて、苦労の末に一列が揃って「やった!」と思った瞬間、その一列はどこかに消えていく。
そして上を振り向けばまた次のブロックが来ていて、ああ、そうか俺はこういう、終わらない闘いの渦中にいるんだった、と思い出す。
諸行無常な気持ちになる。


でも消えてしまう、というのはなんかちょっと違うか。
まあ、
テトリスって例えが無理矢理やんな笑


訂正すると、
どこかに行ってしまう感じがする。

それは、無意識に使えるようになるということだったり、文章としてアウトプットされることだったり。

まとまらない考えは頭をぐるぐるするけど、
まとまった考えには、無意識とか紙の上とか、どこか行き先があって、
悩みのトピックから消えてしまう気がする。


だから、
まとまったことを書くとか、
書きながらまとめるとかっていうのは、
覚えるためのようでいて
忘れることに手を貸している。


でも人間もバカではなくて、
あ、これって書くことのそういう機能に薄々気付いてるのかな、と思う瞬間がたまにある。
それは、昔の日記を見返していて、
「〇〇なんて死んでしまえ」とか、
「生きてるってつらいことばっかだね」みたいな、
忘れてしまいたいことを書き連ねているのを見つけたとき。
たぶんそのときの俺は、忘れるために書いていた。


でも一方でそれは、
忘れるためのようでいて、
覚えておくためにもなっている。

だってほら、
書いた文章を読むと、
うっかり思い出してしまう。
忘れたかった記憶を。
ちゃんと忘れたはずなのに。

覚えることも叶わず、
忘れてることも叶わず、
でも日記を書きたくなるのはなんでだろう。

今日書いたことも、いったん忘れてまた思い出すんだろうな。

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