2009年1月30日金曜日

2008年MySpace人気ランキング

Gorillaz most popular band on MySpace in 2008(NME)
http://www.nme.com/news/gorillaz/41820

Myspaceの2008年人気アーティストはこんな感じ。


Gorillaz (682,875 friends)
Bullet for My Valentine (596,885 friends)
Amy Winehouse (542,268 friends)
Coldplay (525,110 friends)
Lily Allen (462,159 friends)
MIA. (399,858 friends)
Oasis (353,484 friends)
Imogen Heap (351,484 friends)


なんかすごく意外な感じがする。
のは俺が最近のアーティストをあんま知らないからっていうのもあると思うけど、
にしてもGorillazが一位なのはよく分からない。Gorillazは好きだけど。
UK勢に偏っているのも何だか謎だ。


思うのは、
きっと、Myspaceで聴きたい曲と、ラジオで聴きたい曲と、外でiPodに入れて聴きたい曲は違うということ。
Gorillazはあのバーチャルな感じが、ネット上によく合っている気がする。


最近の芸術の外せない要素のひとつに

サイトスペシフィック

という概念がある。
その場所にしかない価値を紡いで作品にする、という考え方。

それは、音楽にも当てはまる。
聴く場面によって場所によって、曲の聴こえ方は変わる。

どんなにみんながiTunes Storeを使うようになっても、音楽はそれだけではない。
音楽を聴くのにいろんな場面がある限り、いろんな音楽があっていい。


ちなみに、最近は上で10位に入っていたImogen Heapがお気に入りだ。
けっこう前から知ってたけど、こんなに有名になってんね。

Imogen Heap(Myspace)
http://www.myspace.com/imogenheap

2009年1月29日木曜日

Life without israel, isreal?

ボイコット・イスラエル。

と書いたポスターがでかでかと大学内に貼られている。
イスラエルへの反感は根強い。
日本と何の関係があるの?と思うけれど、
アメリカが嫌いな人は、
敵の味方は敵
みたいな理論で持ってイスラエルを嫌悪するのだろうか。
いや、きっと理論じゃない。
気持ちやもんね。

なんて他人事のように分析しようとするけど、
俺の中にもやっぱりイスラエルを嫌う気持ちはあって、
気持ちは理論では拭い去れない。

農業の勉強をしていると、
イスラエルの灌漑効率は世界一だ。みたいな話が出てくる。
灌漑効率は、作物にやった水が、無駄に流れたり蒸発したりせずに作物に行き渡る割合を表していて、日本だと30%くらいだけど、イスラエルは80%くらいになる。
それは、厳しい乾燥気候の中で工夫を重ねてきたからだ。
すごいよね、イスラエルって。
みたいなニュアンスで語られることが多いが、
俺はしかし、すごいよねイスラエルって。と純朴に思うことはできず、じゃあなんでそんなに効率がいいのにパレスチナから水を奪うのか、という憤りが頭をもたげる。

多くの人が、心のどっかでイスラエルを何とかしたいと薄くゆるく思っている。
ボイコットはその何とかする方法の一つなのかもしれない。
賛成はできないけど、理解はできる。

でも、良し悪しは別にして、ボイコットなんて本当に可能なのか。


イギリスのサイトに、イスラエル支援企業のリストがある。

BOYCOTT ISRAEL CAMPAIGN
http://www.inminds.co.uk/boycott-brands.html


例えば、俺がいま受験生だとしたら。
KitKatを買って半分に折って、KitKats(きっと勝つ)とかってゲンを担ごうとしても、
あ、そっか。Nestleはイスラエル支援企業だ。
心の安寧が欲しい俺は、なか卯に行ってKitKatの5倍の値段のカツ丼を食べなくてはいけない。

例えば、俺に恋人がいるとしたら。
春休みにディズニーランドに行こう。とかって言われても、
あ、そっか。ディズニーはイスラエル支援企業だ。
関西に住んでるねんしUSJでいいやん。とかごまかすしかない。

例えば、俺が新しくMacを買いたくなったとしたら。
Apple Storeを散々物色して夢を膨らませたとしても、
あ、そっか。MacのCPUをつくっているIntelはイスラエル支援企業だ。
諦めてAMD製のCPUが入っているパソコンを選ぶしかない。


…これくらいなら意外といけるかも?


と思ったけど、
それでもなんだかこれは、何のためにやっているかわからなくなる。
理論でなくて気持ちから出た行動案であることを考えると、
ストレス解消にはそれでいいのかもしれない。

でも。
なんだか嘘っぽい。
俺はボイコット運動に心を重ねることはできない。



英語のサイトをちょっと見てたら、こんな一文があった。
The boycott of Israel was originated by the Arab League and smacks of the Nazi campaign to boycott Jews in the 1930s.(http://www.zionism-israel.com/Israel_boycott.htm)


これもまた鵜呑みにすることはできない意見ではあるけれど、
なるほど、俺たちがしようとしていることは、弱者と強者の立場が逆なだけで、ある意味でナチスと変わらない。
ナチスの反ユダヤ政策も、感情から生まれたけれど、いまのボイコットよりずっと論理武装されていた。
そして、いまよりずっと闇雲に突き進んでいた。

何が違うのか、
何が違わないのか、
深く考えなくてはいけない。
そんな時間はないけれど。

Macの平穏の終わり

馬鹿は風邪を引かない。
Macはウィルスにかからない。

はずだった。
でもそんな平和は長く続かないらしい。


Macのマルウェアは高リスクユーザー群で流行する見込み
http://japan.zdnet.com/sp/feature/07zeroday/story/0,3800083088,20387192,00.htm


Macを使う人が増えるに従って、ウィルスを流行させた時の影響や、そこからウィルス作者が得る利益が大きくなる。
今はまだWindowsのように一般に広く流行してるわけではなく、
Mac版のWinnyみたいなので違法コピーソフトをやりとりしてるような人にだけ流行るものだ。

けれど、平穏な日々は確かに終わりに近づこうとしている。
Macだってウィルスに感染する。
俺も風邪を引きかけている。

体に気をつけて暮らさないと。

2009年1月28日水曜日

見慣れたのがいい。

Prominent Linux desktop developer: No one wants a new desktop
http://news.cnet.com/8301-13505_3-9967932-16.html?tag=mncol


この記事が言っているのは、デスクトップの見た目の話。
読んで、はっとした。
そうか。
新しいものなんて、実は必要じゃないこともある。


そういう意味で言うと、Macは他のデスクトップ環境の先を言っている。
バージョンがあがっても、デスクトップの見た目はほとんど変わらない。
保守的な代わりに使いやすい。

Windowsは、バージョンが変わるとけっこう違う見た目になる。
多くの人がVistaを選ばなかった理由は、
なじむのがめんどくさいからなのかな。

で、Linuxは。

Linuxの場合は、いくつかのデスクトップの中から選択できるし、WindowsとかMacに比べてカスタマイズ性も高い。
そしてその品質も、WindowやMacに並ぶくらいになってきた。
MacでいうSpaces(デスクトップを複数切り替えられる)みたいな機能はずっと前からついていた。

↓こんな感じ。



しかし、過ぎた力は身を滅ぼす。

Linuxのデスクトップは、MacやWindowsの先を目指している。
先を目指しているからこそ失敗する。
例えば、躍進を続けてきたKDEは、勇んでバグが多いバージョンを世に出してしまって、コミュニティの反感を買った。
↓KDE


一方で、古豪のGNOMEは、ユーザーの使いやすさを重視して選択肢を減らそうとする姿勢が「ユーザを馬鹿にしている」とLinuxの生みの親、リーナス・トーバルズの怒りを買い、混乱を生んだ。
↓GNOME


でも、GNOMEの方向性は間違っていない。
ユーザは、馬鹿なんです。
少なくとも俺は、わかりやすい方がいい。
見慣れた方がいい。


しかし。


それはしかし、新しいものを求めていくオープンソースの姿勢とは相反している。
みんなでがんばれば何か新しいものができるという期待と興奮が、オープンソースを支えているのではなかったか。
ならば、使う側は新しいものをほしがっていなくて、
つくる側は新しいものをつくりたいとき、
一体どうすればいいんだろう。

その答えを、Linuxは探している。
どちらを選んでも失うものがある。

Windowsも探している。
みんなに新しいOSを買わせたがっている。

Macは探すのをさぼっている。
というより、答えはもう出ている。
今のデスクトップは一つの完成形だ。
Mac OS XIなんて出す気がないのかな。


どの選択が正しいのか、俺にはわからない。

2009年1月27日火曜日

未来を写した子供たち

久々に映画を観た。


未来を写した子供たち
http://www.mirai-kodomo.net/

カルカッタの売春街に住む子供たちのドキュメンタリー映画。
第77回アカデミー賞ドキュメンタリー部門受賞。

監督のザナ・ブリスキは、アメリカ人の女性カメラマン。
売春街で子供対象にカメラ教室を開いている。
これは、子供にカメラの使い方を教えることでエンパワーメントを目指すNPO Kids with Cameras(ザナが創始者)の活動として行われている。


この映画はたぶん、Kids with Camerasの宣伝の役割もあって、
ザナががんばっているところと、うまくいっているところが過度に強調されている気もする。
カメラを教えることが本当に効果的な援助なのかわからない。
あと、ザナのやり方はなんだか一方的だ。
一向にヒンディー語をしゃべらないし、
子供と接するのはうまいけど、
実際に売春をしている大人の価値観を理解しようとしていない感じがする。
アカデミー賞を受賞した後に売春街の売春婦団体から抗議があったという。

俺には何がよくて何が悪いのかは判断しかねる。
難しすぎる問題だ。


それでも、
突然インドの売春街に移り住んで、
子供たちのために駆け回る
ザナの情熱は評価されるべきものだろう。



ストーリーを簡単に言うと、
売春街に生まれて外の世界を知らなかった子供たちが、
カメラを通していろんな世界を見て、希望を持っていく。
やがて学校に行って将来に向けて勉強し始める。
みたいな話。


でも、そんなに単純じゃない。
映画の最後で、現実にはハッピーエンドもバッドエンドもないと思い知らされる。

映画は終わっても
世界は終わらない。
どんな希望もいつかは賞味期限を迎えて消えていく。


だったら、カメラを手にしていた子供のあの笑顔は、希望は無駄だったのか。


この映画の主人公のひとり、アヴィジットという男の子がこんなセリフを言う。

「写真ってすごいよね。
たとえある人が死んだとしても、
その前に写真に撮ってさえいればいつだって会えるんだ」

映画の中でもこの言葉の重みを知ることになるけれど、
それって本当だと思った。
いつだって会える。

子供たちの写真に写っているのはきっと、
希望であり未来だ。
生きていくといつか、
持っていた希望も描いていた未来も忘れてしまうけれど、
いつだって思い出せる。

トーマス・ルフは、
日本語で写真とは「真実が写っている」という意味だ
と聞いて笑ったらしいが、
写真は真実を写せると俺は思う。

卒業アルバムを見て旅立っていくあの時の決意を思い出せるのと同じように、
いつだってその瞬間に戻れる。
記憶は嘘をつくけれど、
そのとき感じた希望は嘘じゃない。
そこに写っているのは真実だ。

2009年1月26日月曜日

動物の著作権

著作権はなぜ必要なのか。

それは、著作をつくるためには生きなければならず、
生きるためにはお金が必要だからだ。


NO MONEY, NO LIFE

そして、生きるためにお金が必要なのは、
なにも人間だけではない。

水質汚染、
森林伐採、
気候変動、
みたいな四字熟語によって動物が住まう場所は奪われつつあり、
そんな理不尽な世界を生き抜くためにはお金が必要となる。
お金がないと動物は滅びるかもしれない。


するとどうなるのか。


例えば、「世界最速」みたいなのがウリな製品のCMをつくるとする。
プロデューサはしばし悩んだ後、ふと脳神経にアイディアがほとばしる。
「そうだ、チーターを使おう!」
と思った次の瞬間、彼は思い出す。

あ、そっか。
チーターって絶滅したんだっけ。

みたいな、絶望。


チーターが絶滅すると、
当然ながらチーターを使うCMも絶えて滅する。
それがいやなら、金を払えよ。
的な運動が、Animal Copyright(動物の著作権)だ。


2006年、カナダの映像作家、グレゴリー・コルベールはAnimal Copyright Foundationを設立した。
動物を使った広告宣伝を企業が展開する際に媒体購入費の1パーセントを寄付するよう呼びかけている。
参加した企業は、下のマークを広告内で使用できるようになる。




動物から利益を得てる者が、
動物に利益を返すのは当然だろう、みたいな着想。

グレゴリーはすごいと思う。
映像作品も、人柄が伝わってくる。
色彩が抑えられた単調な画面なのに
被写体になっている動物とか人間に対する愛が感じられる。

作品と生き方が連続している。
才能だな、と思った。

2009年1月23日金曜日

ジョブズのいないApple

Linuxを使い始めて半年が経つが、
そろそろMacに戻ろうかな。
と思い始めた理由は、「ジョブズのいないApple」が現実味を帯びてきたから。

スティーブ・ジョブズは、どん底だったMacに奇跡の復活をもたらしたApple社のCEO。
もはやいまのAppleはジョブズでもっている。
そんなジョブズが、療養のために半年休養するという。


はばからず言うと、
俺はジョブズが嫌いだ。

いまのAppleは、まるで北朝鮮のようにさえ見える。
↓健康問題を隠すへんがよく似ている。

アップルのジョブズ氏健康問題、SECが情報開示巡り調査(日経ネット)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090122AT2M2200T22012009.html
ジョブズ氏は14日、病気治療のため6月末までの休養を表明したが、病状の詳細は示していない。アップルの経営は同氏の手腕への依存度が高いとされ、投資家などが「経営に大きな影響を与える重要事項にもかかわらず開示が不十分」と批判している。



iPodだとかiPhoneだとか、
人気商品の開発秘話を聞くと、
ジョブズの無茶な要求に応える技術者の悲鳴が垣間見える。

もちろん、メディアはそれを賞賛する。
ジョブズが独裁的に設定した高いハードルを乗り越えてきたからこそ、製品の完成度は高い。
そしてそれはやがて、商品への賞賛から、ジョブズへの賞賛へとかわる。

高いハードルを乗り越えた者ではなく、
高いハードルを課したものが賞賛をひとり占めするのだ。


なぜ?


と思うと同時に、
客観的にそれはいいことではないと思う。

ひとりのカリスマがなにかを引っ張るというモデルは、
ITの世界の中ではあまりに時代遅れなのではないか。
これからはコミュニティの力だ!と言われ続けて何年経っただろう。
いまだに戸惑い続けながらも、コンピュータ産業は個の力ではなく全体の力を活かすプラクティスを重ねていっている。
Appleは、成果は最先端を走っているけれど、プロセスは時代錯誤的だ。


とはいえ、
Appleの技術力はすごい。
これだけの無茶に応えて来れたのだから。
ジョブズのいないAppleでそれがどう発揮されるのか、
Appleのコミュニティがもがくその様をこの目で見ていたい。

2009年1月21日水曜日

"do a Radiohead"

Faithless could 'do a Radiohead' - BBC
http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/7838362.stm


"do a Radiohead"とはどういう意味か。


を説明する前に、Radioheadとはなにか。

イギリスの5人組ロックバンド。
ジャンルにとらわれず、創造的な楽曲を作り続けている。
1997年に出したアルバム「OK Computer」は、90年代最高のアルバムと名高い。

あと、ボーカルのThom Yorkeの動きが挙動不審な感じで有名。
↓こんな感じで。


15 Steps - Scotch mist version


で、"do a Radiohead"とはどういう意味か。
それは、上の「15 Steps」も収録されている7枚目のアルバム「In Rainbows」のリリース方法を指す。


2003年、Radioheadは「Hail to the Thief」をリリースし、それまで10年間以上所属してきたEMIとの契約が終了。バンドはフリーになる。
それからしばらくは、ツアーをしたり、個人で活動したりしていた。
そしてそのうちに、アルバム作成の話が聞こえてくる。
2007年半ばに、もうすぐ完成しそう。みたいなことが公式ブログに書かれて、みんなの期待は高まる。
でも、バンドは未だにどのレーベルとも契約してなくて、
これは、レーベルと契約してからCD出してっていうと…来年かなあ。
WTF。
みたいな嘆息があちこちで聞かれた。


そんな時だった。


2007年10月1日に突然、公式ブログに発表があった。

Hello everyone.
Well, the new album is finished, and it's coming out in 10 days;
We've called it In Rainbows.
Love from us all.

「In Rainbows」の文字にリンクが張られていて、クリックすると特設サイトが開く。
特設サイトでは、アルバムのmp3が購入できる。

何が革新的だったのか。

それは、アルバムの値段にある。
そこには"It's up to you"と書かれ、
払うお金を自分で決めれるようになっている。
$100でも$1でも、
そして、$0でもいい。

その衝撃。
想像できるだろうか。


音楽を生業にしている人間が、
その音楽をタダでもいいよと言う。

そして、タダでもいいよと言われてもなお
人々はお金を払う。


結果は、ダウンロード数は300万以上、売り上げは10億円以上と言われている。


革新的だったのは、
そういう善意を信じる、Radioheadのスタンスだった。

信じることほど簡単で難しいことはない。
そして、俺たちはいずれその難しさと向き合わなくてはいけない。
世界は善意でできている。


音楽業界は必死になるけど、
著作権はどんどん痩せ細っていく。
音楽はやがて、栄養失調で死ぬのかもしれない。


音楽なんて、
友達のCDをコピーすることもできるし、
Youtubeでタダで聴くこともできるし、
ひょっとするとP2Pで違法にやりとりされている。

なのに、
なぜ音楽にお金を払うのか。

その答えは、Radioheadも知らない。
誰も知らない。

2009年1月16日金曜日

今年の夏、飛べない鳥。

「鳥人間コンテスト」2009年開催休止と2010年開催のお知らせ
http://www.ytv.co.jp/birdman/info2009.html


関西方面で微妙に夏の風物詩になっている、鳥人間コンテスト。
今年は番組制作費がつかなかったらしい。
意外とお金がかかってるのかな。

というわけで、今年は鳥人間が飛び立てない。


が、そもそも。


鳥人間のほとんどは、飛べない鳥だ。
飛び立てずに滑走路から急角度で水面に突っ込んで湖のもくずと化す。

初めて見たとき、あれだけ多くの人力飛行機が粗大ゴミになっていく様子は衝撃だった。
ほとんど、ではない。
例外なくすべての機体がゴミになる。
どれだけ遠く長く飛んでも、
最後は着水する。

なにかトラブルがあって飛べなくなる機体もある。
すると、
「無念のリタイアです!」みたいな実況があった次の画面では、そのチームの人たちは自分たちが作った飛行機を湖へと押しやっている。

ゆっくりと墜ちていく。
水面とぶつかる機体。
飛び散る波しぶき。
風に舞う涙。

まるで葬式のようだった。
物理的に飛べないならせめて、
死んで天国に飛んで行け、みたいな。


でも、そんなメロドラマには感情移入せず冷めた目で見ると、これほどの環境破壊はない。
持って帰ればいいのに、なぜ。


飛行機が次々に湖に身を投げる様はまるで、
地球環境に対する特攻のように見えた。


あのゴミはどこに行くんだろう。
と不思議に思っていたけど、
たぶんそういうのの処理にお金がかかるのかな。


来年は生で見にいきたいな、と思った。

2009年1月13日火曜日

Google検索と二酸化炭素

グーグル検索2回でおよそ7gの二酸化炭素が排出--米物理学者が指摘
http://japan.zdnet.com/news/ir/story/0,2000056187,20386361,00.htm

Revealed: the environmental impact of Google searches
http://technology.timesonline.co.uk/tol/news/tech_and_web/article5489134.ece



二酸化炭素が7gってどのくらいかというと、
2回ググれば、やかんでお湯を沸かすのに匹敵するくらいらしい。
どういう計算で出したのか謎だけど。
ちなみにGoogleは、そんなに多くないと反論している。


IT業界が出すCO2は世界全体の2%。
航空業界が出す量と同じらしい。


それでも。
これがホントかウソかはわからないけれど。
個人的には、Googleが悪いとは思わない。

たとえ検索にエネルギーがかかっているとしても、
Googleの検索は、欲しい情報に到達する近道を教えてくれる。
それはそれでエネルギーの節約だし、
節約にならなくても、地球の命を削る価値があるものだと思う。


でも、Youtubeはきっとたくさんのエネルギーを使ってる。


最近のウェブサービスは、中毒性の高さを目指している。
アクセス数ではGoogleにはどこも勝てないから、
1回の訪問で何時間も滞在するサイトが増殖している。

mixi
facebook
last.fm
second life
...

なんでそんなサイトが流行るのか。
ひとは、現実から逃げ場を求めているからだ。


ひょっとすると温暖化しているこの世界のことを忘れたくてネット上に逃げ込むのに、気付かずに温暖化に寄与してしまう。

そんな皮肉。

俺はふと、松尾スズキの「ヘブンズサイン」にあった台詞を思い出した。
過食症の女に向かって魔女みたいな悪役が投げかける言葉。


食べろ食べろ。食べてる間だけは太ることを忘れられる。



名言だと思う。

あなたは、
何を忘れたいのだろうか。

2009年1月6日火曜日

農園検索サイト「タガヤシ」

農園とか耕作放棄地が検索できる。
株式会社マイファームという、貸し農園を運営する関西の会社がつくったサイト。

「タガヤシ」
http://www.tagayashi.jp/


便利そう。
まだできたばっかりで、マイファームしか登録されてないけど。

正直、この小さな会社にどれほど求心力があるのかよくわからない。
ほんとに貸し農場の情報がここに集約されるのだろうか。
農業が大事だ大事だと叫ばれる中で、こういうのが乱立しそうな予感がする。

大事であればこそ、手を取り合うことが難しいこともある。
このサイトがそんないざこざに巻き込まれないことを祈っている。

2009年1月5日月曜日

埋火

うずみび
と、読むらしい。
福岡の3ピースバンド。



「埋み火」
炉や火鉢などの灰にうずめた炭火。いけ火。(大辞泉)


その名前通り、
静かなようでいて、
くすぶるような鋭さを抱えている。

くるりを思い出した。



「と、おもった」埋火

ふゆ

Bank Bandの「はるまついぶき」を聴いた。

自分がなぜ冬が好きなのか、
わかった気がした。


「はるまついぶき」は新潟・中越沖地震の復興支援のためにつくられたチャリティーソングだ。
櫻井和寿は、ap bank fes '08でこの曲をこう語った。


当然、「雪」というのは雪のことではないし、
「春」というのは春のことではないです。
いまこうやって、幸せな夏を迎えられたことを感謝するとともに、
どこかで、冬を過ごしているひとを思いつつ、
この曲を歌いたいと思います。



どこかで、冬を過ごしているひと。

に、自分がなるときだってある。

季節が移ろうのと同じように、
俺らの心も春夏秋冬を生きている。

「はるまついぶき」は、
春がやがて必ずやってくるし、
この冬を乗り越えるからこそ強くなれるから、
がんばってね。
みたいな歌だが、

だがしかし。

なるほど、これは心の琴線に触れる名曲だと思うけれど、
春を待つことの、つらさ。
それは想像を絶する。

いつくるかわからない春を待つのなら、
むしろ、冬でも生きていけるような強い心と体になりたい。


だから、
そのために冬にしがみついていたいんだ、俺はきっと。

凍えるような寒さも感じないほどに
心が麻痺してしまえばいいのに。
時間も何もかも凍りついてしまえばいいのに。

ずっと冬ならいいのに。




年が変わっても、
季節は変わらない。

いまは冬だ。

2009年1月2日金曜日

ふつう


Re:S
http://www.re-s.jp/

時代はすごい速度で進んでいき、
新しいものが山のように生まれては捨てられる。
「ふつう」とは何なのか、悩むことが多くなってきた。
そんな中で、Re:Sは「あたらしいふつう」を提案する雑誌だ。

水筒
フィルムカメラ
物々交換
地方の暮らし
引き継ぐ
一生もの
ものを売る
残していく
一緒にやる
木のこと

Re:Sの特集のテーマはどれも、素朴にあるものだ。
それを「ふつう」と呼ぶことに躊躇はない。
新しいもの好きなひとも古いものにこだわるひとも、みんな、それぞれの「ふつう」を探しているだけなのだとこの雑誌を読んでいると気づかされる。

そして、Re:Sは単なる雑誌ではなく、
「ふつう」を探し求めてもがく運動でもある。
取材は体当たり。
物々交換をしに北海道に行ったり、
行商をしに鹿児島にいったり。
筋書きの無い取材からは、人間味あふれる記事が生まれる。
そして、取材でできたつながりは次の取材を生み、ときには紙面を飛び出す。
例えば、取材先の写真屋と意気投合してフィルムカメラの良さを伝えるフリーペーパーができた。

もちろん、ひとによって「ふつう」は違う。
だからRe:Sは、「ふつう」の探し方を背中で教えてくれる。
「ふつう」を求めるひとたちの真摯な想いが、この小柄な雑誌に詰まっている。