2009年9月30日水曜日

断酒します。

断酒します。
少なくとも半年。


きのう、飲み会途中から記憶がなく、気づくと午前3時半、出町柳の駐輪場を歩き回っていた。
そんなとこにチャリは止めてないのに。

こういうのって初めてではなくて、
3度目だ。


仏の顔も3度まで。


しばらく酒を飲みません。
そして、断る力を身につけます。
こいつは無理に酒を勧めるとヤバいやつだ、という恐怖を植え付ける方法、
有無を言わせぬ冷たい目、
言葉より雄弁な沈黙、


つまりは俺は怖いひとになりたいのかも知れない。

単に酒が怖いだけやけど。

2009年9月29日火曜日

水都大阪の写真(少しだけ)

写真が現像できたので載せます。
でもほんとにちょっとだけです。
この何十倍ものアートと思いが、
中之島に詰まっています。
ぜひ生の中之島を見に来てね!


ヤノベケンジさんの作品、「ラッキードラゴン」。運がいいと火を噴くところを見れる。



淀川テクニックさんの作品。淀川に捨てられていたゴミでつくったチヌ。



井上信太さんの作品。絶滅危惧種の動物を板に書いて、会場中にこんなのがいっぱい展示されている。


作品じゃないけど。天神橋という橋。大阪は「八百八橋」と言われるほど橋が多かった。



同じく作品じゃないけど。橋の照明。おしゃれ。




水都大阪もあと2週間で終ってしまう。

あれっ?と思い出しかけては、忘れる。
アートって楽しい!と思う毎日の中で、何か見落としてる気がしてた。
しかし、こないだついに俺がなんで水都大阪に関わろうとしたかを思い出した。

そうか、
俺はここに、水都の片鱗を探しにきたのだった。

アートは手段に過ぎない。
手段に溺れるという愚挙。


あと2週間。
俺は、あと2週間で水とひととの関わりを知らなくてはいけない。

2009年9月28日月曜日

パリは燃えているか

自分の音楽的嗜好は、
NHKスペシャルのBGMに大きく影響を受けてるんじゃないかな、と最近思う。
昔、親がよく見てたのをなんとなく見てた。

たかがNHK、されどNHK。
NHKスペシャルの音楽担当には、ビッグネームが並ぶ。

久石譲
菅野よう子
大島ミチル
川井憲次
細野晴臣
ヨーヨーマ
加古隆

などなど。

NHKスペシャルに共通した雰囲気として、
静寂を大切にする。

邪魔しすぎない、
でもなんか複雑な感じのBGM。

↓例えばこんなの

【10/22】サロン中央アジア

こんなメールが届きました。


ご無沙汰しています。
久しぶりに「サロン・中央アジア」開催お知らせをお送りします。

10月22日(木)午後6時半から、
テーマ:「若者が見たカザフスタン」

話題提供は
1)加藤りよさん(京大農学部4回生)カザフ滞在2009年7月~8月の2ヶ月。
2)湯谷啓明さん(京大農学部4回生)昨年アラル海に出向く

会場は市民環境研究所(京都市左京区田中里の前21 石川ビル305)

無料



俺も行きます。
たぶんあんまりしゃべらないけど。
中央アジアに興味ある人はぜひぜひ。

サロン中央アジアというのは、
カザフスタン研究の権威、石田紀郎先生が月一回くらいのペースで開催している、
中央アジアに関わる人、興味がある人のまったりした話の場です。
といって別に意見を求められるようなことはないので、気軽に来てな!

場所が少しわかりにくいので言ってもらったら案内するで◎

NAMURA ART MEETING Vol.03

水都大阪で、スタッフのひとが「ナムラ」という言葉をよく口にしてるので、
何かなーと思って調べてみるとこんなイベントに行き着いた。

http://www.namura.cc/art-meeting/vol03.html


高木正勝が出るよ!
行きたいなー。


NAMURA ART MEETINGは、
NAMURA ART MEETING '04-'34 は、現在から2034年までの30年間を芸術のひと連なりの現場ととらえ、芸術活動と隣り合う社会や個人が、<出来事>を共有しつつ未来を創造するという実験です。

ということらしい。
30年スパンのアートプロジェクト。
めっちゃ面白そう。

2009年9月27日日曜日

五木村

「翻弄」五木村 思い噴出(asahi.com)


五木村に行ったことがある。
その話は前に少し書いた。
今日は時間がないのであんまり詳しく書けないけど、
上の記事を見つけたのでとりあえず。

八ツ場ダムも、川辺川ダムも、
中止した場合にどんなことが起こるのか、
報道されてるのは日本の歴史で初めてじゃないだろうか。
上の記事のような葛藤が紹介されることは、
例えば田中康夫が「脱ダム」を唱えて長野県知事になったときはなかったと思う。


政権が代わって、
新しいことが起こっている。
わけでもない。

住民は昔から翻弄されてきた。
政府に、世論に。
俺が生まれる前からずっと。
それを新しく感じるのは
みんなが知らなかっただけだ。
ほんとは知らなくてはいけないのに。


ちゃんと考えたいと思う。

反省しないといけない。
知らなかったことを。
知ろうとしなかったことを。

2009年9月26日土曜日

10月1日、関東にいきます。

合格者交流会のために、関東に行きます。
いまの研究室に新教授をウェルカムするのをサボって笑

夜行バスで0泊1日の旅です。
朝と夜はあいてるので、ひまなひとは遊びませんかー?
それか、なんかおもろいイベントあったら教えてください◎

2009年9月24日木曜日

切り離さない

なんか閃きかけたのでメモ。
とりとめのない俺の頭の中を、書き留める。


小6の俺は、「10年後の私」という作文の課題で、
22才の俺が、大学生で引きこもって、時代に流されずスーファミにはまっているだろう、
という大胆な予言をしていた。

その予言はノストラダムスのように外れて、
俺は意外と引きこもらない。
ひとと出会うのだって割と好きな方だ。きっと。

でも、
何かをすればひとと出会うけれど、
俺は、出会うために何かをしたくない。

生きた先には死があるけれど、
死ぬために生きることはできないように。


出会いたくないのに出会ってしまうから、
出会いはすばらしい。
出会いはいつも目的ではなくて、
付随するものでしかない。
どんなにすばらしくても、少なくとも俺は、
出会うために出会うことはできない。



そんな風に、結果を目的にはできないことが、世の中にはたくさんある。

「目的」という言葉は、過程と結果を切り離す、悪い風習だ。
と最近思う。
それはたぶん、水都大阪で関わっているアーティストのひとの影響もあるだろう。

「未完成をデザインすること」

という言葉で語られているのは、
完成するかどうかが大事ではなくて、
完成させようとするベクトルが大事だということ。

完成したものはすばらしい。
けれど、完成してしまえばそれまでだ。
未完成は、他の未完成と刺激し合い、関係し合い、
予想もしなかったものを生んでいく。

あなたの中の未完成を掘り起こしていく。


作品と、
作品をつくるプロセスと。

まったく別のことのようで、
完成しているかしていないかという些細な違いしかない。
佐藤仁「資源を見る眼」にも、物体と事象を一体視することの重要性が説かれているけれど、
分けて考えてしまっては見えないものがある。

細かい例を出すと、
確か平田オリザと誰かの対談の中に、
歌舞伎の見得に関する考察があった。
あれは、集中すると自然と寄り眼になるのを、
逆に寄り眼になることで集中しようという型なのではないか、という。

寄り眼と集中は、一体のものなのだ。


冒頭の方に書いたことで言うと、
何かすることと出会うことは、切り離すことができない。
目的が何かわからないまま、
何かをしたくなる。
それはきっと自然なことだ。


物体と事象の一体視。
「資源を見る眼」を最初読んだ時はしっくりこなかったけど、
最近、ちょっと分かってきた気がする。
研究をするときも、こういう視点を持てるようにしたい。

2009年9月23日水曜日

La Roux

今日ラジオでこの曲が流れてて、
曲名を思い出すのに苦労した。
La Rouxは、無難そうでありながら、なかなか面白い曲をつくるなーと思った。

忘れないようにクリップ。

La Roux - Bulletproof

人生の一里塚

ついにここまできたか。

きのう俺は、人生の一里塚をひとつ通過した。



水都大阪かえっこ屋に橋本知事、嘉田知事とかがきていた。
人だかりをよそ目に、しかし俺は子どもの相手をする。
かえっこ屋では、いらなくなったおもちゃを持ってくるか、お手伝いをしてくれると「カエルポイント」という世界共通のポイントがもらえる。
カエルポイントはおもちゃと交換できるから、会場はお手伝いをしたい子どもで溢れている。
でも手伝ってもらうことってそんなにないので、ときに需要と供給のバランスは崩壊し、失業率が急上昇する。

という事態はあんまりないけど。でもなんとかして雇用創出の施策を打ち出さないといけなくて、スタッフは大変だ。
こどもニューディール政策、みたいな。




話がそれた。
シュールでごめんなさい。

とにかく俺たちスタッフの仕事は、こどもに仕事を教えることと、がんばった分だけポイントをあげることだ。
でも、スタッフはいろんな場所を行ったり来たりしていて、そこにいる子どもがいつから働いているのかわからなかったりする。
そんな時はこどもに自己申告させる。

「どれくらいがんばった?」
「何ポイントほしい?」

みたいな感じで聞いてみて。

そして俺は、そんな感じで

「いつから働いてる?」

と小1くらいの女の子に尋ねてみる。
するとその子は

「はじめから」

と答えた。

はじめって??
かえっこバザールが始まったのはもう2時間前なので、そんな前から働いてるのか!
こいつすげー!

これはめっちゃポイントあげよう。と思ったけど、念のため、

「はじめっていつ?」

と聞いてみる。
すると、

「おっちゃんが来たとき」

という答えが返ってきた。
あ、橋本知事が来た時か。
なんや、まだ15分くらいしか働いてないのか。

「おっちゃんって誰なん? 橋本知事?」

と聞いたら、その子は首を横に振る。
あれっ?

「じゃあおっちゃんって誰なん?」

と尋ねると、その子はゆっくり指を挙げ、
「おっちゃん」を指差した。
おっちゃんとは果たして誰なのか。
俺はゆっくりその指の先を確かめる。

それは驚きの人物だった。

なんと
「おっちゃん」は
俺だったのだ。


えっ???


おっちゃんが俺ということは、
言い換えるとつまりそれは、
俺はおっちゃんなわけで、
あ、そうか俺ってそうだったのか。


ちょっとショックだった。


初「おっちゃん」という通過儀礼。
男なら誰もが通過する人生の一里塚だ。
そんなわけで、俺はもうおっちゃんです(笑)。

おっちゃんは今日も水都に行ってきます。
おっちゃんだからそろそろ体がしんどいけれど。

2009年9月18日金曜日

北海道に行ってました。

14日〜16日、苫小牧で水フォーラム参加者同窓会をした。
お金を使い果たした。
写真撮ったけど、
現像するお金がないので載せるのはまた今度。。

北海道って意外とあったかい。
もっと寒いところに俺は行きたいのに。

同窓会っていいなって思った。
つらかったことも楽しかったこともそこそこ忘れて、
朝のまどろみのように、何もかもがどこか曖昧になる。

夢なのか、現実なのか。

過去なのか、今なのか、未来なのか。


けれど俺たちは、
曖昧な中から、曖昧にしてはいけないものを見つけないといけない。

それは、友情とか、
人生の目標とか。
時を経ても移ろわないもの。
挫折を味わっても色あせないもの。


俺らの場合でいうとそれは、次回の水フォーラムだ。

英語がしゃべれなかったこと。
水のユースネットワークができなかったこと。
帰ってきて、まだ日本の中でアクションを起こせていないこと。

今回できなかったことを、できるようになりたい。
次回の水フォーラムは3年後。
そんな先のことだけど、
久しぶりにみんなで会って、ちょっと先が見えた気がした。

過去も未来も、
京都も北海道もイスタンブールも、
俺たちはつながっている。

マソソソマソソソ

最近、Marilyn Mansonにはまっている。
昔はめっちゃ嫌いだったけど。

マンソン食わず嫌いのひとはとりあえず聴いてみてね!
聴いてから嫌いになっても遅くない。


マンソンを始めて見たのは、
ボーリング・フォー・コロンバイン」でインタビューを受けてるところ。
頭良さそうにしゃべってた。


こう言ってはなんだけど、
こんなにブサイクな顔をしていて、
こんなに気持ち悪い動き方をしていて、
ここまで人気が出るのは才能だなーと思う。

かっこいいひとが、
かっこいい音楽をやってても何の感慨もない。
かといって、
キムタクがマンソンみたいな曲を歌ったらみんな引くよね。

鬱屈した人間にしか奏でられない、
鬱屈した音楽がある。


銀杏ボーイズの峯田和伸は、
銀杏BOYZ聴いてるーっつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うえっ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんてよ、差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ。

と言っているけど、こういうのを目指してるのかな。

差別されてるひとのための、
差別される音楽。


Marilyn Manson - This Is The New Shit
http://www.youtube.com/watch?v=_4IVxpulRf8

2009年9月13日日曜日

簡易チェック法

お前は今、何かを憎んでいるか?

憎しみは力になる

もっと憎め

もっと、もっとだ!

何かを憎みながら生きていけ

人生ってのは旅だ

憎めない奴、

みんなのヒーロー、

聖人面した聖人を探し出して、

憎む旅だ

たくさん憎め

次、次だ!

敵を憎め

親を憎め

親友を憎め

道ですれ違うひとを憎め

最後に、憎むものがなくなったなら

自分を憎め

今まで他人に振りまいてきたのと同じだけの憎悪を自分に与えろ

やがてお前は鏡に殴りかかり

逆に鏡に殴られて果てるだろう

死んでもまだ憎しみを抱き続けろ

お前を焼く炎が激しさを増すように

そしてお前が骨だけになったなら

憎しみを捨てて世界を見回してみるといい

お前のために誰かが悲しんでいたんなら

それは憎しみが足りなかったっていうことだ

すなわちお前は、

人間だったっていうことだ



という詩が、昔のノートに書きなぐられているのを見つけた。
人間かどうかの、簡易チェック法。

あ、簡易じゃないかな?笑


高1のときに書いたやつな気がする。
そのころの将来の夢は、詩人(笑)。
上田假奈代さんという「闘う詩人」を肩書きにもつひとがいるけど、
そういうのがカッコいいなーと思っていた。
言葉一つで社会と闘う、的な。

やがて大人になって、
自分の言葉のチョイスに限界を見た俺は、
あっさりさっくり諦めるのだけれど、
しかし詩人を目指した後遺症があるような気が最近している。


俺は、無駄に抽象的な言葉を使う癖がある。

例えば。
昨日、水都大阪で中学生がハンガーで作品をつくる補助をしてたときのこと。

ハンガーとハンガーをつけるには、針金で止めた後にホットボンドで接着するのだが、
間違っても、針金は切ればいいし、ホットボンドも固まったらペリっとめくればいい。

「あ、間違えた」

と狼狽する中学生に、

「大丈夫やで、何回でもやり直せるねん、」

とすかさずフォローした後、
何を思ったのか俺は

「人生と違って。」

という一言を付け加えてしまった。
あれっ?

なんやったんやろう。
中学生の若さへの嫉妬?笑

こんな感じで、自分でもよくわからない、シュールな言葉を口にしていることがある。
よくある。

「生きるってそういうことだよね」
「人間っていうのは」
とか、そういう類いの言葉が俺の口から発せられるのを
聞いたことある人はけっこういる気がする。

それはとりもなおさず、俺がシュールだということで、
由々しき問題だ。

最近の悩み。
なんか解決法はないですか?

2009年9月11日金曜日

院試受かりました。

受かりました!


応援してくれたひと、ありがとう。

関東のひと、また飲みましょう。

関西のひと、関東に行っても仲良くしてね。
そしてこの半年で飲みましょう。


とりあえず報告まで。
しばらく忙しいので連絡返せないこともあります。
あしからず。

2009年9月8日火曜日

David Sylvian

実家で録画してた青春舞台2009を観てたら、
青森中央高校「ともことサマーキャンプ」のBGMにびびっと来たのでクリップ。

David Sylvian。
劇中で使われてたのは「The Only Daughter」っていう曲だった。

↓これは別の曲。
http://www.youtube.com/watch?v=4YuvdDPYEy0

2009年9月7日月曜日

カバンを縫ってみた。

何を隠そう、俺は玉止めができない。

玉止めとは、
糸が抜けないように糸の最後につくる結び目のことで、
風呂で言うと、栓
キャプテン翼で言うと、若林源三
のような存在であり、
つまり、それなくしては何もかもが瓦解する。

それはなんだか俺の人生の縮図のようで怖くて、
裁縫は、トラウマのひとつだ。

そんな俺だけど、
一念発起、カバンを縫ってみた。
↓けっこういい感じじゃない??




実家で母親に技術指導を受けながら、丸3日くらいかかった気がする。
前のカバンの大きさを測ってパーツを考えて、布を買ってきて。

近くで見るとあんまり縫い目とかきれいじゃないけど、
とりあえず、やり切った感に溢れている。

料理にしろ、日用雑貨にせよ、
自分でつくるっていうのはなんか気持ちいい。


次は何をつくればいいでしょう?

書き忘れていたこといろいろ

最近忙しくて、ブログに書き忘れていることがいろいろある。
忘れないうちに書いとく。


・院試の応援ありがとうございます。
コメントに返事できなくてすいません。
投稿はメールでできるけど、コメントはパソコンじゃないとできないので、ムリでした。
おかげさまで頭痛は治りました。


・とりあえず滑り止めは受かりました。
いまいる研究室は受かりました。
本命は結果まだやけど。
まあとりあえず、浪人になることはなさそう。


・「東京ノート」観に行きます。
http://www.seinendan.org/jpn/info/index.html

誰か誘おう、と思いつつ忘れてた。。ごめん。
10月25日(日)に行くよ。
まだ空席あるんかな?
その日のチケット持ってる人はいっしょに◎

2009年9月5日土曜日

水辺は世界のはしっこ

かつて関西ローカルの某テレビ番組で「さきっちょマン」というコーナーがあった。
たしか、間寛平扮するさきっちょマンが、日本中のさきっちょを巡る旅をする。みたいなのだった気がする。

飽くなきさきっちょの探求。
このように、さきっちょはひとを惹き付けてやまない。


そして、さきっちょと同じように、はしっこも人を惹き付ける。
さきっちょはなんかポジティブな響きがあるからわかるけど、はしっこはなぜだろう。

思うに、人間には2つの重力というものがある。
中心に引かれる力と、はしっこに引かれる力だ。
友達に家族に囲まれていたいけれど、そのくせ時々ひとりになりたくなる。
引かれあうようで反発しあう、不思議な感じ。


はしっこは孤独で、危険だ。
にも関わらず、なぜひとははしっこを目指すのか。
それはきっと、人生のいろんな局面で否応なしに、精神的にはしっこにいるからだ。
失恋、リストラの危機、生きる意味が見つからない。
あと一歩踏み込めば戻れないかもしれない、人生のエッジ。
そんなはしっこに立たされた気持ちは、はしっこによってしか癒せない。

はしっこにいることそれ自体よりも、
精神的にはしっこなのに、物理的には都会のど真ん中にいる、みたいな心と体の不一致が苦しい。
心がはしっこなら、体もはしっこに立つべきだ。

でも、はしっこがどんどんなくなっていく。
かつて海の向こうにははしっこがあったけど、今はもう地球は丸い。
町と町は道路や線路で接続され、はしっことはしっこがジグソーパズルみたいにツギハギされる。
「自殺の名所」という名のはしっこまで交通の便がよくなる一方で、身近なはしっこが失われていくのはなんだか悲しい。

はしっこが、必要だ。


水辺はきっと、みんなのはしっこになれる。


もうちょっとはしっこについて書きたいけど、そろそろシフトが始まるのでこの辺で。
今日も大阪の「はしっこ」、中之島にいます。
土日にどこに行くか迷ったら遊びにきてね◎

2009年9月4日金曜日

Múm

ついに出た!
Múmの新しいアルバム。

アイスランド出身の二人組。
ミュージシャンの中で、一番好きかも。

ボーカルの双子が抜けてから2作目。
前作はあんま好きじゃなかったけど、
音が落ち着いてきた気がする。




普段は、
このブログには著作権違反の動画は載せないというポリシーを貫いているけど(載せてる動画はレーベルとかミュージシャン自身がアップしてるやつ)、今回だけは。。みんなにMúmを知ってほしいという衝動に勝てませんでした。すいません。

↓ちゃんと買ってね!笑
Sing Along To Songs You Don't Know

2009年9月1日火曜日

ひとつだけ

欲しがりません、勝つまでは。



とか言うけれど、
それは裏を返せば、
勝ったら欲しがります。という下心丸出しの宣言だ。

しかも、人間の欲望というのは恐ろしいもので、
「あ、そろそろ勝つかな」と思うと、
まだ勝ってなくても欲しくなってしまう。

むしろ、欲しくなってしまった言い訳として
「そろそろ勝つかな」とつぶやいてみるのかもしれない。

欲望は、そうしてフライングする。


まあそもそも、
欲しがりません。といくら大声で叫んでみたところで、
欲しがる、というのは心の問題であって、
スローガンで心を改変しようなどと、おこがましい。
欲望に打ち勝つなんてどだい無理な話だ。


ほらその証拠に、
「欲しがりません」とだけ宣言しておけば潔いものを、

いやー、やっぱり一生欲しがらないのはちょっとムリかな。
いや、ムリかなって言うと語弊があるけどね、
まあ俺は大丈夫だけど、ムリなひともいるかなって思って。
ね、そういう思いやり的なね。

という、日本が誇る優柔不断さを遺憾なく発揮し、
「勝つまでは」を付け加えてしまっている。

その時点でもう、敗けでしょ。
精神的に。


勝っても欲しがる。
負けても欲しがる。

じゃあ今から欲しがってもいいんじゃない。

と俺の欲望がささやく。
まだ院試の結果は出てないけど。



服が欲しい。
かばんが欲しい。
机が欲しい。
ノートパソコンが欲しい。
CDが欲しい。


欲しい欲しい欲しい!



資本主義の世界はそういう欲望でくるくる回っていて、
しかし少し視点を変えれば、
俺達はそういう世界にくるくる踊らされている。


目が回りそう。


ふと矢野顕子の歌を思い出す。
欲しいものはたくさんあるの

きらめく星くずの指輪

寄せる波で組み立てた椅子

世界中の花集めつくるオーデコロン


けれども今気がついたこと

とっても大切なこと

欲しいものはただひとつだけ

あなたの心の白い扉ひらく鍵

(矢野顕子「ひとつだけ」)

そういう、シンプルな欲望がいい。

じゃあ俺は、
ひとつだけ、といわれたら何を選ぶかなー。
とりあえず。

うーん、かばん?
今のはぼろぼろだし。
もうちょいカラフルなかばんがあれば、
もうちょいカラフルな生活になりそうだし。


以上、いろいろ欲しいけれど、
お金がない現実に右往左往する、
俺の頭の中でした笑