2010年1月10日日曜日

ウルトラマーケットに関して。

閉鎖を巡ってもめている小劇場ウルトラマーケットに関して。

公式サイトと、2ちゃんねるのスレッドを見つつ考えてみた。
でもあんま詳しくないので、
そして解釈は俺の個人的な推測なので、
間違ってたら教えてください。



公式サイトによると、
「ウルトラマーケット」は、大阪城ホール西倉庫を改装した小劇場だ。
この騒動は、
10月5日、財団法人大阪城ホールから南河内万歳一座代表の内藤裕敬に書面で退去通告が渡され、
突然の退去通告に内藤たち演劇関係者が反発している、
というものだ。


ウルトラマーケットの経緯を辿ってみると、
はじまりは2002年まで遡る。

扇町ミュージックスクエア、近鉄小劇場の閉鎖が決定し、
新しい劇場が必要とされていた。
しかし、新しい劇場をつくるのは容易ではない。

そこで、既存の劇場の活用も考えて、
演劇プロデューサーの松原利巳(現・芸術創造館副館長)が大阪城ホールを見ていたところ、
大阪城ホール側から使われていない西倉庫の紹介があった。
そして、劇場を使いたいという演劇関係者のニーズと、
西倉庫を有効活用したいという大阪城ホールのニーズが合致して、
南河内万歳一座座長の内藤裕敬を中心に「天下の台所委員会」という組織を結成し、
2003年4月のオープンの準備が始まった。


ここでまずひとつ問題があって、
この時から今まで、賃貸契約が書面で結ばれたことはない。
記者会見では、
「10年は頼むね」と言われて、器材の購入も10年スパンを思って計画してきた、
と内藤は述べているが、それも書面では残っていないので証明はできない。
もちろん賃借料はきちんと支払われてきたけれど、
口約束だけで大阪城ホールの施設を6年間(2004年度〜2009年度)も使ってきたのは、
奇跡だと言える。

逆に言うと、
今回のことは奇跡が終わっただけだ。
騒ぐほどのことじゃない。もっと大阪城ホールに感謝しろよ。
という批判を口にするひとも多い。




そして、オープン目前の2003年3月にもうひとつ問題が発覚する。
西倉庫は、大阪市公園局によって公園として登録されており、
大阪城ホールが自由に使えるスペースではないと判明する。
オープンを延期し、大阪都市協会、ゆとりとみどり振興局、大阪城ホールで協議した結果、
『劇団への助成に限り西倉庫の使用を許可する旨の決定』が出た。

これは、
大阪城ホール側も、アリーナでは興業できない小規模なライブ・コンサートをそこで催す方針で、(http://www.banzai1za.jp/um2009/2002.html)
という希望が難しくなったということだ。
西倉庫は、劇団しか使うことが許されず、
大阪城ホール側にとっては、
「有効利用してくれるのであれば」という貸し出しのインセンティブが弱まったのではないだろうか。

とはいえ、おそらくこの時点では
大阪城ホールが音楽イベントを開催するという望みを捨てたわけではない。
実際、2005年には音楽イベントが開催されている。





オープンした2004年の末、
大阪城ホールが1000万円を出して、出入り口、避難通路などが整備された。
そして2005年から、「ウルトラ春の乱」「ウルトラ秋の乱」という演劇祭がスタートし、
ウルトラマーケットは本格的に始動することになる。
この2005年に、本来許されていないはずの演劇以外の使用があった。
ひとつは、演劇祭の間に大阪城ホールが開いた
音楽イベントOSAKA ROCK CITY “Fly The Flag” (主催:サウンドクリエイター)、
そしてもうひとつは、
演劇祭に参加した大日本プロレスだ。
翌2006年に、大阪城ホール内部からそれを問題視する声が上がり、
大阪城ホールに依頼されて、
南河内万歳一座が大阪市ゆとりとみどり振興局に演劇以外の使用も許可するように交渉に行く。
しかし交渉は失敗し、

大阪市ゆとりとみどり振興局伊東課長に相談するが、2003年の使用決定時に「劇団助成」名目の記載があるとのことで、大日本プロレスは認められず。

これにより、当初、大阪城ホール側が希望したライブ・コンサートなどの使用も不可能となった。(http://www.banzai1za.jp/um2009/2006.html

とある。
(でもこの年の演劇祭の中ではサントリー音楽財団のコンサートをやっている。なんでなんやろう。。)





そしてこの翌年から大阪城ホールは態度を一変させたように見える。
たぶん、
音楽イベントで使いたいという目論みが外れたこと、
西倉庫を貸し出した時から理事が変わったこと、
というふたつが背景にある。

2007年8月に天下の台所委員会が出したウルトラマーケットをより発展させるための要望書に対して、
新任常務理事が「私が独自に調査した結果、後にも先にも、ウルトラマーケットの演劇活用に関し、それを呼びかけ、推進しようとした人物も書面も事実も無い。よって何故、ウルトラマーケットの事業にこれ以上、我々が協力せねばならぬのか」と発言。(http://www.banzai1za.jp/um2009/2007.html
という出来事があった。
まるで手のひらを返したような反応だ。
それから少しやりとりがあった後、
現状維持なら構わない、ということに落ち着く。
お互いにわだかまりを残したまま。




さらに翌年の2008年4月、
ジャニーズのコンサート時に、
ファンがウルトラマーケットを通ってホール内部に侵入しようとして止められる、
という出来事がある。

天下の台所委員会はセキュリティの強化を約束する誓約書を大阪城ホールに提出。
(きちんと文章としてかわされた約束は、おそらくこれひとつだけだろう。)
大阪城ホールにとってもはやウルトラマーケットは、
役に立たないばかりか、害を及ぼす可能性さえ持つのだ。



そして、去年2009年10月の退去通告に至った。

大阪城ホールが挙げた理由はふたつ、
2008年にもめたセキュリティの問題と、
大阪市危機管理室から、
緊急物資の備蓄に西倉庫を使用したいという申し出があったことだという。


でも、理由なんてなんでも良かったんじゃないかな。
厄介払いしたいだけで。




たぶん大阪城ホールは一枚岩ではなくて、
純粋にウルトラマーケットを応援してくれる人もいるけど、
快く思わない人もいる。

だから、書面の契約を結ばなかったんじゃないかな、と思う。
正式にしてしまうとおおごとになるから。

そして、快く思わない人には、
「音楽イベントに使えるから」
と言って説得していたけど結局使えないことがわかって、
快く思わない人はやっぱり快く思わない。



起こるべくして起こった気がする、終末。




どっちが悪いって言うと、
俺は大阪城ホールの態度が好きになれない。
2ちゃんねるでは、内藤を「子どもがダダをこねているみたいだ」と叩く発言が多いけど、
大阪城ホールが、書面になってないからと過去を否定しウルトラマーケットに向き合わないのは、
いい大人が情けない。
よくある、弱者に無神経な強者の姿だ。

でも、悪い悪いと責めても出てくるものは何もない。
ウルトラマーケットが続いても続かなくても、
もうそこが居心地が悪い場所だということは変わらない。
大阪城ホールはもう、良き理解者にはならないだろう。





劇場は単なる催しをするハコではない。
その場所を通じて交流が生まれて、
新しいものとか研ぎすまされたものが育まれる。

つまり、いい場所をつくるためには、
いいコミュニティがなくてはならない。
しかし、悲しいことにコミュニティとは必然的に「内部」と「外部」を作り出すものだ。
それは可視的であれ暗黙的であれ、ある種の排除を伴う。
「内部」のひとからみたらどんなにいい場所でも、
「外部」のひとにとってはそう感じられない。

2ちゃんねるのスレッドには実際に演劇関係者っぽい感じでしゃべってるひともいて、
こんな書き込みがあった。
みんな残念なんだよ。
小劇場が生まれますとか何年か前にカッコイイこと言ってくれてるのを聞いて良かったなと思って、みんなのためになるんだろうなって喜んで、
でも関西小劇場界のほんの一部の劇団しか恩恵を受けられない、使うこともできないって事が分かって落胆して、
気がついたらその劇場が潰れたわけ。
潰れてしかも貸主からセキュリティに難ありって言われてだよ?
そりゃま、小劇場界の共通の財産になりえたものが…、内藤さんて何がしたいのってなるよ。

おれは個人的には、あれは関西に小劇場ができたわけじゃなくて、南河内万歳一座という劇団に自分とこの劇場ができただけなんだよなって理解してるけどね。
うちの劇団とは関係ないし別にどうでもいいかなって。(http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/drama/1247834647
2ちゃんねるではウルトラマーケットの味方をするひとが少ないのが、
はたしてリアルの世界でも同じなのかというとよくわからない。
でもやっぱり、選ばれた人しかウルトラマーケットを使えない(という印象を与えた)のは、
ウルトラマーケットの味方を確実に減らしている。
味方を減らしてでも、場所性を保つためにそれは必要な排除なのだろう。


そして逆に、ウルトラマーケットの排除もまた、
大阪城ホールの場所性を保つには必要なのだ、きっと。
場所性とは、大阪城ホールの場合は「品格」という言葉で置き換えられるかもしれない。
品格を保つために、
それだけのために「ならず者」は排除される。

劇団アグリーダックリングの樋口が、
記者会見でこんなことをいっている。
「市」VS私たち「表現者」になると、どうみても私たちはならず者に見えるわけです、世間から見れば。そういうならず者に、最終的に責任を押し付けることができてしまえる、市なんですよ、きっと、大阪っていうのは。そういうのが、もう本当は、もう通常にあって、これは大阪のウルトラマーケットひとつの問題ではなく、大阪市の文化の問題だと思います。(http://www.banzai1za.jp/um2009/kk3.html

「ならず者」とはつまり、
自分たちの枠の外にいる人間を指して言う言葉だ。
「ならず者」を排除することを残酷というのか、
その冷徹さに磨かれて芸術は輝くのか、
答えは出ない。





はっきりしているのは、
けっきょく、大阪ってそうなのか。
というため息があちこちから漏れ聞こえること。
当事者も第三者も、
関西の人も遠くの人も。
それは声にならない絶望を代弁している。

権力者が、マイナーなアートに携わる人間を「ならず者」と扱う限り、
アーティスト自身が自分たちを「ならず者」と卑下する気持ちがどこかにある限り、
大阪に、アートにとって幸せな時代は訪れない。





でもこんなことを書きながらも、
内藤たちの行動はやっぱり、
「ならず者」がゴネているように俺の目には映ってしまう。

そう見られてしまう彼らの勇敢な行動も、
そう見えてしまう自分の陳腐な目も、
なんだか残念でならない。

もっと芸術のことがわかるようになりたい。

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