ひとと別れる時は、
もう二度と会えないことを頭の片隅に置いている気がする。
「行ってきます」と言って朝に家を出る時も、
「またあした」と言って研究室から帰る時も、
「まあ来年も会おうぜ」とか言って同窓会が終わる時も。
いつもと変わらないように、たわいのない話をして、
いつもと変わらないように、笑い合って。
でもどっかで、「いつも」はもう来ないかも知れないとも思う。
そう思っていることに自分でも気付かないほど仄かな、
まるでノイズのような妄想を抱えて、
俺はひとと会っているんだ。たぶん。
なんだか最近、そのノイズが濃くなって、
別れを言うために人と会ってる気がしてきて、
もっと悪い言い方をするなら、
「もう会うこともないよね」と宣告しに行っているような気がしてきて、
そんな自分に嫌気が差してしまう。
生きてさえいれば、会おうと思えば会えるのに。
考えてみれば、
会って、何かして、別れてという三つがセットになって、
「会う」という言葉でひとくくりにされる。
会うことも、別れることも、
どこに力点を置くかという違いでしかない。
それは車輪のようにくるくる回る。
別れるために会って
また会うために別れて、
会って別れて、別れて会って。
そのリズム感が大事なんだ。
自転車を漕ぐように、
テンポ良くないと、車輪は回らない。
勢い良く別れないと、また会えない。
俺は、けれど、別れることに力みすぎてぎこちない。
「いい別れ」を意識しすぎてしまって、
結局なんとなくしか別れられない。
(飲み会の締めとか俺に振ったらあかんよ!笑)
果たしてそれは、
別れることからも、
また会うことからも、
逃げているんだな、と思う。
つまり俺は、人間関係から逃げている。
ひとと会いたくない自分を直視したくなくて、
ますますひとと会いたくなくなる。
ありがちな負の循環。
抜け出すためには無理にでもひとと会うしかない。
抜け出せるかな。
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