2011年1月25日火曜日

笑っていいのか、怒っていいのか。

こないだのBBCの話が自分の中でずっと尾を引いている。


22日朝日新聞朝刊には、山口さんの長女のコメントが載っている。

家族のなかでは二度の被爆を『運が悪い』と笑いながら話したことはあるが、むごい記憶や後遺症を乗り越えるために笑い話にしたのであり、人から笑われるのでは意味が違う。


誰なら笑っていいのか。

身内ならいい。
人から笑われるのはいやだ。

そんなの当たり前だ。

その当たり前さを、BBCの不謹慎さが侵した。
だから遺族は怒った。


でも、
誰なら怒っていいのか。

「原爆被爆国である日本の一員として許せない」
みたいなことを言って憤慨してる人がいっぱいいるけど、
それっていいの?


みたいな、なにげない論理の段差に、
たぶん思考停止しといた方がいいところに、
俺は、つまずいてしまった。




ここで、「原爆の悲惨さを知れ!」とかって、
それっぽい言葉で怒ることはできるのかもしれない。
俺は「被爆国である日本の一員」だから。

でもじゃあ、
被爆国に生まれて、被爆者に対して何か寄り添うことをしてきたかというと、
ぜんぜんそんなことなくて、
むしろ面倒くさいから他人のフリをしてきて、
原爆症認定訴訟があるのも知ってたけど、
あんまり興味がなくて。

二重被爆者の存在だって、
今回のことで初めて知って、



そんな、知らんぷりして来た人間が、
華麗に当事者に変身できるなんて、
俺は信じられない。


ネットにつぶやくだけなら、カンタン。


でも、どうせ怒ってるなんて演技で、
それで終わりなんでしょ?

Youtubeのコメント欄にはいっぱい書き込むけど、
「被爆者」ってぐぐることすらしないんでしょ?

原爆被害者の味方のフリして、
「分かります」とか言えばそれで、
ほんとに分かる努力なんてしなくていっか、
とか思ってるんでしょ?

知るのが面倒くさいから、
他人の知らなさを攻撃して、
自分のことを棚上げしたいんでしょ?



薄っぺらい、口先だけのそれを、
怒りなんて呼ばない。
呼んではいけない。


そういう俺も、
これをブログに書いて終わってしまうだけの薄っぺらい人間。
書けば書くほど全部自分に跳ね返ってくる。

やだこれ。
思考の、暗いループ。

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