2011年4月29日金曜日

一ノ瀬正樹「死の所有」

死の所有―死刑・殺人・動物利用に向きあう哲学死の所有―死刑・殺人・動物利用に向きあう哲学
一ノ瀬 正樹

東京大学出版会 2011-01-25
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最近ずっと読んでた本。
なんか哲学のことよくわからないので、言葉遣いとか間違うかもとおそるおそるになりながら書きます…。


主な話題は、死刑のはなし。

殺人等の重罪の場合、他人のいのちを奪ったのだから、自らのいのちを差し出して償わなければならないとして、死刑が応報的均衡の観念のもとで正当化される。

でも、「いのちを差し出す」という言い方は言語的におかしい、と一ノ瀬は言う。

色々論点があったけどその辺ははしょって、
そもそも、自分のいのちは所有できるのか、という根源的な問いがあって、
ジョン・ロックを原点にする近代人権思想はそれに「NO」と答える。

所有権の源泉は「労働」であって、
「労働」して手に入れるものは所有できる。
生命や身体は「労働」しても手に入らないから、所有できない。

所有できないはずの生命や身体を所有できると思っているとするなら、
それはきっと別の価値観に基づいている、と言う。


この本はそうやって、近代人権思想の論理と現実の齟齬をあぶり出す。
この論理だとこうなってるはずなのに現実はなってないですよ、みたいなことを言ってる。
答えは、論理と現実の間にある。
噛み合なさを直視した先にしかない。

一ノ瀬自身も、

倫理の問題というのは、自然主義的誤謬などと言われることがあるにしても、実際上はつねに「is」(何々である)と「ought to」(何々すべきである)との交錯のなかに現れる。

と述べている。


述べているのに、

この本では結局、
近代人権思想のロジックでは死刑はありえないからやめようよ。おかしいよそれ。
と、論理を擁護して現実をdisる結論になってる。

論理から出発したけど、不安になって結局論理にUターンした感じ。
なんか納得できなかった。

でもたぶん、そう見えるのは、
俺が、現実から出発するけど最後は現実に戻ってきてしまうタイプだからなんだろうな。

この本は「人を殺してはいけない」という論理から出発していて、
俺はたぶん、「人は人を殺す」という現実から出発する。

同じ答えを探してるはずなのに、
出発点が真逆なだけで分かり合えないなんて。



なんか一抹の寂しさを覚えた本だった。
中盤あたりにすごく共感したから特に、最後の辺で納得できないのが悔しかった。
また時間を置いて読みたい。

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