2012年3月27日火曜日

雑記

とある人に久しぶりに会って話をした。年齢聞いた事なかったけど、聞くともう70歳過ぎだと言う。そうなのか。

放射能のせいで元の土地に住めなくなった人を、日本はどう扱うのか、みたいな話をした。国とは何なのかが問われている、と。
具体的には双葉町とかのことを言っているらしい。そこが、ほんとに、ずっと、住めないのかという議論はとても大事だけれど、ひとまず脇においておいて。


テロが起こればいい、と彼はまた極論を言う。
人から土地を奪い切り捨てるのならば、仕返しに奪われ切り捨てられることを覚悟しなくてはならない、と。
というか、むしろ切り捨てて切り捨てられればいいのに、と。

どうしてこの世代の人は、こんなにも「敵」をつくりだすことが得意なのだろう。
皮肉でも賞賛でもなく、ただただ感心してしまう。
「絆」だとか「日本はひとつ」だとか言って、そこに厳然とあるはずの壁とか境界をぼやかすことに腐心する私たちと違って、
加害者と被害者、「わたしたち」と「あなたたち」を生真面目に線引こうとする。

線を引かねば目に見えず、目に見えなければ解決しない。
怒りにも似たその信念を、正義と呼んで差し支えはないはずだ。

とはいえ私はぼんやり不真面目に生きていて、
これは正しいけれど自分の文脈ではない。きっと。
じゃあ何なのか、考え込んでしまう。

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