2015年5月20日水曜日

内田樹 編「日本の反知性主義」



内田樹のいいところは、適度に反知性主義的なところだと俺は思っている。

ふつうだと行けないところにひょいっとジャンプするような、そういう論理の組み立てがすてきだと感じるし、しかし一方で、震災についての発言には「反知性主義」として退けられるべき危うさを感じる。

で、そのひとが「反知性主義」についての本を編じている。複雑な気持ちで読む。読まざるを得ない。

こうして「反知性主義」ということばで敵を刈り取ろうとするような試み自体が反知性主義的な気もするけど、この本はカタログ的に便利だ。反知性主義という語りにくい事柄について、語るべきことばがそこそこそろっている。

個人的に、小田嶋隆のこのことばに一番共感する。
 最初に知性を軸とした対立があって、その結果として、人々が二つの陣営に分裂しているのではない。
 順序としては、分断が先にやってきていて、その分断を生み出したものとして、「知性」が悪役に仕立て上げられている。ここのところを間違えてはいけない。
(中略)
 思うに、われわれは、知性みたいな些細なことで対立するのはやめて、なるべく早い時期に、きちんとした再分配のある、マトモな社会を取り戻して、この分断の進行を阻止しなければならない。
 知性を「些細なこと」と言い切る反知性っぷりが、いちばん知的に見えた。

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