2015年6月13日土曜日

今野 真二 「百年前の日本語――書きことばが揺れた時代」

青空文庫の「写す」という行為の困難さについてのtogetterで言及されてて買った本。



百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)
百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)
今野 真二

岩波書店 2012-09-21
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買った動機に関係するのは字体の話だけど、振り仮名とか送り仮名の表記法の「揺れ」について書いてることが興味深い。興味深いけど、ゆるふわな俺の脳みそではついていけない部分もあったので、
強敵とは、読んで字のごとく「強い敵」のこと。漫画『北斗の拳』においては「とも」と読む。
http://dic.pixiv.net/a/%E5%BC%B7%E6%95%B5
というノリのことが実は昔からあった。的な話と思い込むことにしてゆるふわに読んだ。

例えば語形の「揺れ」についてはこんな感じに書かれている。
漢字「幸福」は、漢語「コウフク」を表すこともできたし、和語「サイワイ」を表すこともでき、和語「サイワイ」は「幸い」と書くこともできた。後に述べるように、現代は、一つの語の書き方を(できるかぎり)一つに定めようとする傾向にある。しかし、明治期においては、そうではなかった。そうした意味合いにおいて、明治期は、語形においても語の書き方においても、「揺れ」の時代であったとみることができる。
(40ページ)
これは漢語の「コウフク」を表したいときも和語の「サイワイ」を表したいときも表記としては「幸福」と書くことができるということで、じゃあ読む人的には「幸福」って見たときどっちで読めばいいわけ?とかなるので、そこは振り仮名を振ることで明示することになる。

ちなみに、筆者はこの「揺れ」を、
 「揺れ」というと、不安定な状態を想像しやすいが、そうではなくて、むしろ「豊富な選択肢があった」と捉えたい。
(iiiページ)
と言っていて、「日本語の「幅」」ということばで表現している。

「幅」、という用語が個人的にはとてもしっくりきた。「幅」というのはおそらく人によって微妙に違っていて、読み手に「幅」がある以上、書き手にもある程度「幅」をもった書き方が求められる。

例えばすごく卑近な例を出すと、俺は〈マクドナルド〉を表すのに「マクドナルド」という語形を使う。それはなぜかというと、世の中には〈マクドナルド〉を「マクド」と呼ぶ人(関西人)も「マック」と呼ぶ人(それ以外?)もいることを俺は知っていて、なるべくならどちらの人間にも届くことばを使いたいからだ。カタカナにも振仮名が許されるなら、俺はきっと「マクドナルド」に「マクド」というルビを振るだろう。

そんな感じで、語形に「幅」があるとき、振り仮名がなくても読みが一意に定まる「幅のない」語を振仮名なしで使うよりも、「幅のある」語を振り仮名といっしょに使うことが戦略として好まれるのは自然だ。

で、百年前(くらい)はそんな感じだったけど、時代が下るにつれて「揺れ」をなくす方向に日本語は進んでいくのであった。つづく。

みたいなのがこの本の流れなのだけど、しかし冒頭に出したように「強敵と書いてともと読む」みたいな「幅」の持たせ方はあるわけで、日本語の「幅」が、かたちは違えど現存している。そのあたりはどうなんだろう。

たとえば、「本気と書いてマジ」については、めぞん一刻に用例があってこんな考察があった。
これは、若い女性の日常生活での勢いある口頭語を示しつつ、きっちりとした意味とニュアンスを伝えるべく漢字で補ったのであろう。
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2010/11/09/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%9C%A8%EF%BC%9A%E3%80%8C%E6%9C%AC%E6%B0%97%EF%BC%88%E3%83%9E%E3%82%B8%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4/
読みについては「マジ」と読ませたいけど、「マジ」という語彙の定着度がわからないので表記は「本気」にして意味も確実に伝えたい、という感じ?

みたいな話はたぶん「振仮名の歴史」 に詳しく書いてある予感がするけど、読まないうちに思ったことをメモりたかった。

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